ソシャゲ派とコンシューマ派は相容れない

アトリエソシャゲにがっかり派の人が、ソシャゲアトリエのシステムについて指摘しているところを見た。これどっちが正しいとかじゃなくて、やってる人がソシャゲ上のシステムと割り切らないとダメなんですよね。やりきりのゲームと長期間運営するゲームではキャラ強化などの仕組みも変わってくるんですよ。コンシューマシステムをソシャゲに持って行ってもおかしくなるし、ソシャゲシステムをコンシューマに入れてもおかしくなります。

ソシャゲを作るリソースをコンシューマにかけてくれと言うならまあそういう意見もあるよねって感じだけど、コンシューマ派の人がソシャゲのゲームシステムに関して指摘するのは違うんじゃないって思う。

1つ例を挙げると、レスレリの調合システム。これは、簡単に言うとガチャのランダムを引き続けるだけのゲームです。コンシューマにあった調合ルートを考えたり、つける特性を試行錯誤したりするゲーム性はまったくありません。ただコンシューマのシステムをそのまま実装すると、継続的な成長システムを入れられないので、ソシャゲでのゲーム性では破綻してしまいます。

最近、不満が出やすいソシャゲや運営型ゲームでこういった一見正しい意見だけど見当違いなものをよく見るので、自分の考えの整理のためにも気が向いたらこれについていつか詳しく書こうかなと思ってる。